未来の真ん中の足跡

今を、一瞬を、見つめ続けるために

薮くんと大学

薮くんが夕刊フジで大学の話をしてくれた。

すっっっっごく嬉しかった。

薮担がみんな喜んでて、ツイッターのTL上で抱き合ってて可愛かった。

 

約1週間経ったのに爆発しそうな感情を抑えきれそうにないし、1週間前のことをツイッターに連投するのもどうかと思ったので久々に更新しようと思い立った。

 

薮くんの言葉を受けて、何か大層なことを考えたわけでもないし発信したいわけでもないけど、ただただ黙っていられないからここに書き殴ることにした。

いつも通り、100%主観でお送りしております(笑)

 

薮くんが大学入学を公表した時、私はまさしく受験生だった。

(正確に言うと違うのかな?高1から受験勉強してたから私にとって高校生はみんな受験生w)

ほとんどの情報収集手段と疎遠な生活を送っていたため、リアルタイムで情報を得ることも出来ずクラスのJUMP担ですら無い友達から聞いたような気がする(笑)

最早よく覚えていない。

人の合格を呑気に祝ってられるような身分ではなかったが、すごく嬉しかったし翌年に迎える自分の本番へのモチベーションとなった。

 

「薮くんのおかげで志望校に合格した」とまで言うと違う気がするが、薮くんの大学入学は間違いなく私の受験勉強に多かれ少なかれ影響を及ぼしたと思う。

 

 

大学は義務教育ではない。

それを言ったら高校だってそうだが、何かの記事で日本の高校進学率は97%だと読んだことがある。

それに比べて日本の大学進学率は50数%らしい(これは今調べた)

 

 

約2人に1人は「大学に行かない」という選択をする。

やりたいことが決まってる人が専門学校へ行ったり、金銭的に大学進学が難しかったりと理由は様々だろうが私はそこらへんの評論家になりたいわけではないので掘り下げないでおく。

 

 

話を戻すがそんな中薮くんは残りの1/2の「大学に行く」という選択をした。

 

私もその1/2の1人だが、薮くんの選択は私のそれともわけが違う。

中高大とエスカレーター制の学校に通っていて、大学は外部受験しない人は内部進学をするのが当たり前の環境だったため、大学生にならない学友は浪人生を除いたら330人ほどの一学年の中でも片手にも満たないほどだった。

 

特に目標もなく、やりたいこともよくわかっていなかったのに「大学生になる」ことだけは私の中で当然だった。

今思えば他にも選択肢があったのになと思うけれど後の祭り、当時の私の考えは及ばなかった。

 

しかし薮くんは違う。

薮くんは高校を卒業してしばらく経っているし、既にアイドルとして社会の一員になっていた。

"大学生になる"以外にも薮くんにはたくさんの選択肢があるしやらなくてはいけないこともあったはずだ。

当時の環境下で大学に進むことはジェネラルでもなければマストでもない。

大学に入学することは薮くんにとって多くのメリットがあることかもしれないが、それに相当する負荷もかなり大きいはずだ。

早稲田の通信制は入ることはそこまで難しくないが、誰でも卒業できるわけではないと聞いた。

ネットで調べただけの私が知っているんだから当然薮くんも承知の上だろう。

 

 それでも薮くんは学ぶ意志を持ち、学ぶ準備をし、合格を勝ち取り、それを世間に公表した。

 

高校生など単純なもので、薮くんが大学生になったという事実はもの凄い勢いで私のへたれた背中を押した。

薮くんが大学生になったから私も大学生になりたい!なんて言うのは子供じみすぎているのは当時の私でもわかっていたので(本音はいつだってこんなもんだったが)、薮くんの姿勢に感銘を受けまともな志望動機を考えるきっかけとなった。

ちなみに当時の私が掲げた志望動機は「外国人に対する日本語教員になりたいから」だった…。

今となってはお前の日本語どうにかしろと四方八方からヤジが飛んできそうで怖い……。

 

 

本当におんなじ人間なのか!?と疑いたくなるほど何もかもが違う私と薮くんの、大学入学における唯一の共通点は家庭環境かなとは思う。

 

私も薮くんと同じく末っ子で、上の兄も姉もみんな大学受験をしていた。

家族の中でも大学進学は当然のことだった。

そして、猛勉強して合格を勝ち取り大喜びする兄の姿や念願叶って夢のキャンパスライフを満喫する姉の姿は、尊いものに見えたし憧れもあった。

 

もしかしたら薮くんにも少し似た感情があったのかな。

つい先日の「自分以外の家族はみんな大学を経てサラリーマンになってる」という言葉を聞いて、なんだか久しぶりだな〜と思いながらそんなことを考えていた。

 

 

 

 

今回の夕刊フジでの言葉についてのエントリーにしようと思ったのに薮くんが大学生になった感動だけで1,800字近くつらつら書いてしまった…

 

 

 

 

 

薮くんに背中を押されながら、私も人並みに努力をして大学合格を勝ち取ったわけだが、残念ながら私は大学が大嫌いだった。

 

1年生の4月から4年生の3月まで大嫌いだった。

 

理由はたくさんあるけれど、詰まる所は肌に合わなかったのだと思う。

 

 

自分はそんな大学生活を送っていたくせに、薮くんがアイドルの仕事の傍ら大学生をやってることはとても嬉しかったし薮くんが大学を卒業することをめちゃくちゃ楽しみにしてた。

 

 

それはきっと、大学という場所が知識の面でも精神の面でも人を豊かにし、その後の人生に何かしらの影響を与えるということを嫌いながらも認めていたからだと思う。

 

 

実際にキャンパスに通うことが少ない分、私のような学業が本分の学生に比べたら受けるインパクトは少ないかもしれない。

それでも、学びがもたらすものは平等であるはずだ。

知識が増えれば増えるほど物事を多面的に考える抽斗が増えると思う。

 

大学で得た知識が卒業後の人生に直接役に立つかと言われたらそうでない場合が多い気がする。

私も最終的には「日本語の言外の意と会話のズレ」というなんとも曖昧な研究をしていたがなんの関連性もない会社に就職した。

しかし日常のふとした瞬間に学生時代に増やした抽斗が役に立ったりしている。

上司や先輩、後輩との"会話"の中に自分の学びが活かせた瞬間は嬉しい。

自分の専門分野だけでなく、学ぶ姿勢や物事へのアプローチの仕方そのものを大学4年間で身につけられたと思うしそれは確実に仕事をする上でも役に立っている。

 

 

そんな思いがあったから、薮くんが大学生であることに多くの喜びと期待を寄せていた。

 

 

私が薮くんの大学卒業を気にし始めたのはここ3年くらいだ。

 

理由は単純で、自分にとって卒業が身近になったから。

 

 

 

ストレートで卒業すれば2016年卒の薮くん。

仕事をこなしながら勉強をするのだから流石にそれは難しいだろうとはわかっていた。

そのためか、この時はさほど気にならなかった。

 

 

2017年は自分の卒業年でもあった。

自分と同じ年に卒業だったら嬉しい…と思いこの年は薮くんの大学情報についてめちゃくちゃ調べた(笑)

残念ながらこの年も薮くんの卒業という話題は飛び込んで来なかった。

 

 

この辺りから徐々に不安を感じ始める…

「薮くんって大学どうなったの?」

という声を見かける頻度も上がったような気がする。

 

「どうなったの?」はつまり「続けてるの?辞めてるの?」だ。

 

いつから薮くんの大学の話を聞かなくなったのだろう…

普通このようなエントリーを書く時は下調べをちゃんとするべきなんだろうけど勢いのまま書き殴ってるので落ち着いたら後日調べます。

「○○らしいよ」なんて噂は飛び交っていたが所詮噂は噂だと思って一喜一憂しないようにしていた。

 

正直2016年の半ばくらいまでは薮くんの卒業に対してそこまで強い思いはなかった。

大学に行く選択をしてくれただけで嬉しい、すごい、かっこいい、尊敬、くらいの感じで。

もちろん卒業してほしいけどどんな形で薮くんの大学生活が終わっても私は文句言わないよ〜!という気構えだった。

 

 

けれども、いざ自分が卒業するとなった時に私は改めて卒業することの重要さを知った。

 

私の大学はストレートに4年で卒業する学生が少なく1.2年の留年は普通だった。

しかし前述したように私は大学が大嫌いだったためあと1年も長くこんなところにいてたまるか!留年するくらいなら退学するわ!という思いだけで卒論や足りていない単位の回収に励んだ。

ゼミには積極的に参加していたため成績も卒論も心配無かったがその他、特に自分の専攻語がからっきしだめ。語学を専門とする大学だったためこれは致命傷でかなり苦労した。

就職先も決まっているのに卒業できませんでしたなんてオチは情けなさすぎる。

専攻語の権威である教授に直談判に行き、終いには「君には○○大卒と外で触れ回って欲しくない」とまで言わせてしまった(本当にやばかった)

 

そんなこんなで4年間大学生活を謳歌した人には想像できないレベルであちこち駆けずり回った結果、無事卒業資格を手にした。

そしてその時私は「卒業さえしたらこっちのもんだ」と悟った。

例え権威ある教授に否定されたって私の出身大学はこの先一生変わらない。

履歴書を書く時には2013年○○大学入学、2017年○○大学卒業と書くしかない。

そこで違う大学の名前を書いたら経歴詐称になる。

 

多様化している世の中で、学歴が全てではないことはもちろんわかっているし実体験からも痛感しているが、それでも学歴に助けられたことは少なくない。

無くてもいいのかもしれないが有ったら有ったで便利だし時には武器にもなる。

その武器は、卒業したからこそ使いこなせるのだ。

 

 

 

ここまで長々と自分語りを続けて結局何が言いたいのか。

 

別に私の超低次元な卒業奮闘記を薮くんに重ねたいのではない。

 

ただ、低次元ながらも"卒業"の意義を知った私は薮くんの大学卒業を熱望するようになった。

それまでは薮くんの大学生活がどのような結末を迎えても文句は言わないと思っていたが、卒業することの価値を知った私はきっとそう思えないだろう。

とてもがっかりしてしまうだろう。

 

卒業するかしないかは雲泥の差だ。

同じくらい努力して入学し、同じくらい真剣に学業と向かい合ったとしても中退と卒業では受ける印象が全く違う。

中退の経歴がその後の人生に花を添える場合なんて、ほんの一握りのよっぽど徳の高い人か、目的を持って中退しその後大成功した人くらいだろう。

まあ薮くんは私にとって相当徳の高い人だし、成功してる人(未来でもっと輝くことを信じてるので大成功とはまだ言わない)ではあるのだけれど、別にそれは大学に入学した事実が無くても確立されたものである。

既に華々しいアイドルとしての経歴がある中にわざわざ「20XX年 早稲田大学中退」なんて書かれることはないだろう。

他のメンバーと比べてああだこうだ言うのは本来好きではないが、もし伊野尾くんが"明治大学理工学部建築学科中退"だったらどうだろうとどうしても考えてしまう。

今ほど建築関連のお仕事は来ないんじゃないかと思う。

アイドルの仕事をこなしながら努力して卒業したからこそ、今の伊野尾くんの大活躍を支える重要な要素となっているのだと思う。

 

書けない終わりの始まりは、無かったことにされがちだ。

薮くんが大学に入学したことも大学で勉強したことも無かったことにされかねない。

薮くんのファンでない人に「薮くんって早稲田に在籍してたんだよ」と言ったところで「でも卒業はしてないんでしょ?」と言われてしまえば何も言い返せないだろう。

 「忙しかったから」なんて私が勝手な主張をしたってただの言い訳に思われそうで、だったら此方だって何も言わない方がいい。

それだけは嫌だった。

薮くんの大学入学の事実だけでなくて、それを喜んだ思い出まで"触れない方がいいもの"みたいになりそうで嫌だった。

 

「卒業さえしたらこっちのもんだ」

この台詞は私のような劣等生が言ってしまうと凄く浅ましいものに聞こえて非難されそうだ。

しかし、優等生にとっても劣等生にとっても卒業は等しく重要だ。

皮肉なことに優等生でも劣等生でも卒業さえすれば紙面上のプロフィールは同じなのだ。

『見た目が好みじゃなかったら中身を知ろうと思わない』という某アイドルの名言があるが、学業にも似たような考え方ができると思う。

大学を中退した人にわざわざ「大学で何を勉強していたの?」なんて聞く人はほとんどいないだろう。

卒業したからこそその人がこれまでの大学生活でどんなことを学び、どんなことを問題視し、どんな考察をしてきたのか知りたくなる。

私のような劣等生もこの段階で初めて"大したことない"という事実がばれる訳であって、それまでは素知らぬフリして優等生たちと横並びでいられるのだ。

優等生にとってはここからは更にポイントアップのチャンスだ。

薮くんはきっと優等生に違いない、というより早稲田の通信制を卒業できる時点で私のような付け焼き刃学生でないことは自明だ。

 

もう私は「卒業してくれたらいいな…」くらいの思いではいられなくなっていた。

元来0か100かの極端な思考に陥りがちの私は「卒業が全てだ」くらいのモードに入ってしまっていた(笑)

もちろん、卒業するしないに関わらず得るものもたくさんある。

そもそも"勉強の仕方"自体が高校生までのそれとは全く違っていて、それを身に付けることができただけで私にとっては大きな収穫だった。

自分の興味関心がある事柄の中から問題を抽出する方法やそれを掘り下げていく方法、細かいことを言えば論文の書き方や参考文献の探し方、Eメールのマナーまで学業に関することだけでも数えきれないほどのことを学んだ。

すでに社会の一員として活動している薮くんは、0からスタートの私より新たな学びは少ないかもしれないが、それでも学ぶ過程の中で得たものはあるんじゃないかと思う。

その過程を輝かせるためにも卒業は必須だと考えた。

私の本音により近い言い方をすれば、その過程を守るためにも卒業してほしかった。

 

 

 

 

吉報は本当に突然やってきた。

お昼休み、ランチをのんびり食べながらTwitterで知ったその日の夕刊フジ

ハル関連の薮くんのインタビュー。最近多くて嬉しいな〜、仕事終わったら買いに行くの忘れないようにしなきゃな〜。

夕方、仕事終わりにTwitterを開いたら薮担がざわついてた。

みんな明言を避けてざわついてた。(この我先に情報を発信するのではなくて「薮くんが大事なお話ししてるから自分の目で確認してね!」って感じの奥ゆかしさ大好きです)

そのざわつきから薮くんが大学のことを話してくれたんだなってすぐに察した。

一刻も早く全容を把握したくて最寄駅のコンビニで夕刊フジを購入しダッシュで帰宅した(笑)

 

大学の話は唐突に始まっているように思えた。

冷静に考えれば前談の「高3までにデビューできなかったら進学しようと思ってた」という発言が自然な流れを作っていたのかもしれないが、薮くんから大学の話を聞けるなんてずいぶんご無沙汰だったので唐突に感じた。

その日のお昼頃のネットニュースでジャニーズにならなかった場合の進路を問われ「大学を出てサラリーマンになってたと思う」と返答してたことも伏線と捉えることもできる。

 

ずっとずっと気になっていたことを夕刊フジのテキストがさらりと教えてくれた。

『22歳で早稲田大学人間科学部に入学』

薮くんのプロフィールを普通に紹介していた。

しつこく前述しているように、"今"が無ければ無かったことにされかねないプロフィールをさも当たり前のように紹介された。

 

薮くんは本当に大学に在籍してた。

噂や又聞きした話じゃなくて公式にそれを知ることができた。

それを知ることができただけでも涙が出そうなくらい嬉しかった。

それと同時に今までグレーだったここ数年あの薮くん、この薮くん、みんな学生薮くんだったのかあと思うときゅんとした。

 

在籍中の事実だけでなく薮くんがどんなことを学んでいるかまで教えてくれた。

アンテナの高い人だなってことは常々思っているのでその強みをより伸ばして今後のさらなる飛躍を願います。

 

 

そして何より嬉しかったこと。

薮くんの言葉で卒業という未来を語ってくれたこと。

帰宅ラッシュの電車の中でツイッターを見ていて、薮くんが大学の話をしてくれていることはなんとなく察していた。

そのためある程度の心の準備はできていた。

でもそれはあくまでも薮くんの今に関する心の準備で。

未来の話を聞けるとは思っていなかった。

来年卒業できそう、ということは卒業見込の状態なんだろうと思う。

 

薮くんが大学を卒業する。

薮くんのプロフィールに早稲田大学卒の文言が書き足される。

薮くんが学歴という武器を新たに持つ。

(今更だが薮くん×学歴ってめちゃくちゃかっこいい)

重要なのは卒業後、その武器をどう扱っていくか…なんてことは言われなくてもわかっている。

でも今はまだそこまで頭が回らない。

薮くんが卒業の話をしてくれた!嬉しい!という思いだけで書き始めたエントリーだ。

卒業まであと1年あるのだからあれこれ思考を勝手に巡らせる時間はまだまだあるだろう。

今はただ今回の夕刊フジの内容にひたすら歓喜したい。

 

先のことは後で考えるとは言ったが、もちろん期待はしている。

2012年から7年経って、薮くんの状況もグループの状況も当時では想像もできなかったほど変わっている。

入学時と今では卒業の意義も違うだろう。

活かせる場も増えているのではないかと思う。

(ただ薮くんの卒業年となる2020年は何かとイベントが多そうで少し心配はしているけど…)

 

また、先程から"武器"という言葉を連呼しているが、薮くんが学歴を振りかざして活躍する姿はあまり想像できない。

ここで私がイメージしている武器は槍のような掲げてオリャァァァ!と突っ込んで行くような武器ではなくて、さっと振り撒くだけで相手の戦闘意欲を削いでしまう魔法の粉のようなファンタジー要素の強いものだ。(捉えようによってはこちらのほうが恐ろしいかもしれないが…)

とにもかくにも薮くんの今後の目覚ましい活躍を願うばかりだ。

 

 

 

 

勢いだけで書き始めたので話の落とし所を決めないままここまできてしまったが、夕刊フジを読んで爆発しそうだった感情を大方吐き出せた気がして満足だ。

 

 

ここまでの7,300字を要約すると、

 

卒業大事!卒業嬉しい!

 

この二言で事足りる。

 

 

 

最後に、

このエントリーを書くきっかけをくれた夕刊フジ様本当にありがとうございます。

 

そして薮くん。

ありがとうって言葉は相応しくないんじゃないかと思うくらい全てのことに感謝の気持ちでいっぱい。

無言実行の人。

私たちには見えないところでどれだけ努力をしてくれたのだろう。

どこまでも誠実でかっこいい。

どこまでも大好きだから、どこまでも輝いてほしい。

 

 

 

 

 

読んでいただきありがとうございました。